これから定期的に自分の文章力を磨くために「文章力をつける」というテーマで書いてみようと思います。正直読むに堪えないものが続くと思いますがご容赦ください

 いまこうしてwebサイトの運営を隙間時間に始めたのですが、文を書くということに大変な労力を要しています。今まで形式も何もかも自由で1から文章を書くという経験がなく文字で何かを伝えるということ難しさには驚愕しています。

 この経験を通して人間とAIのかかわり方に関してより関心を持つようになりました。今や生成AIは我々にとって欠かせないもので、検索や発案など多くのことがAIによって行われています。文章の生成も人がAIに頼っている最たるものの一つでしょう。

 自力で文章を書くという経験が身近になったことでいかにAIに任せることが思考の過程を飛ばした行動か実感できていま

 今僕が書いているこの文章もAIに頼めばほんの数秒で生成されます。

 さらにAIの作り出す文章に様々な要望をつけることができます。文字数や書く内容だけでなく、さらに細かい指示も提示できます。

 それだけにとどまらずAIチェッカーのような文章のAI度を測定するようなものも作り出され、AIが書いた文章を人間が書いたような文章にするシステムまで作り出されています。これらのことは文章だけでなく絵や動画、音楽などにも当てはまります。

 僕の年代は小学校・中学校・高校でAIを多用している人はほとんどいませんでしたが、今AIの利用が問題になっているのは大学だけではないと思います

 AIにすべてを任せて課題をしてきた学生と、自力で課題をこなしてきた学生の間には思考力や想像力といった観点で大きな差が生じるように感じますし、その期間が長ければ長いだけ差は大きくなるように感じます。

 実際そうなのかは私にもわかりません。

 今私は20年ほどしか生きていませんから、この変化絶大に感じますし大きな問題のように感じます。ではこのAIの発展は歴史上で見ればどれほどの変化と匹敵することなのでしょうか。人類が火を利用できるようになったことでしょうか、それともスマホの開発でしょうか。

 例えば昔は人間はいたるところへ自分の足を使って移動していましたが、移動では車や電車など交通機関がありふれています。それでは人類の進化の過程上我々の足腰は変化をしたのでしょうか。

 また、昔は何か知りたいと思ったら文献をあさったり、人に聞いたりとたくさんのプロセスを踏まなくてはいけなかったですが、今ではスマホ一つでありとあらゆることが知れてしまいます。では我々の調べる力は衰えてしまったのでしょうか。

 ただ今までの人類史で人の生活を根本から変化させた事柄は少なくありません。現時点で社会問題として取り上げられているこのAI依存への問題も長い歴史で見れば大したことではないのかもしれませんし、やっぱり大したことなのかもしりません。

 ただAIに頼らずに文章を書いているこの時間は将来何かの役に立つことを祈るばかりです。