これから週1回を目安に自分の文章力を磨くために「文章力をつける」というテーマで書いてみようと思います。正直読むに堪えないものが続くと思いますがご容赦ください。
いまこうしてwebサイトの運営を隙間時間に始めたのですが、文を書くということに大変な労力を要しています。今まで形式も何もかも自由で1から文章を書くという経験がなく文字で何かを伝えるということの難しさには驚愕しています。
今や生成AIは我々にとって欠かせないもので、検索や発案など多くのことがAIによって行われています。文章の生成も人がAIに頼っている最たるものの一つでしょう。
最近自力で文章を書くという経験が身近になったことでいかにAIに任せることが思考の過程を飛ばした行動かを実感できています。
今私が書いているこの文章もAIに頼めばほんの数秒で生成されると思います。
直観ではAIに丸投げすることは、自分の成長にとって悪影響のように感じます。ただ残念なことに、自分で文章を書くことが頭の体操以外何か役に立っているかは、わかりません。
AIの進歩は凄まじく作り出す文章に様々な要望をつけることもできます。文字数や書く内容だけでなく、さらに細かい指示も提示できるようになっています。
それだけにとどまらずAIチェッカーのような文章のAI度を測定するようなものも作り出され、AIが書いた文章を人間が書いたような文章にするシステムまで作り出されています。これらのことは文章だけでなく絵や動画、音楽などにも当てはまります。
つまりAIを使っているかどうかを判断することも難しくなっているのです。
僕の年代は小学校・中学校・高校でAIを多用している人はほとんどいませんでしたが、今AIの利用が問題になっているのは大学だけではないです。
大学くらいの専門性があれば、AIに丸投げすることは難しいと思いますが、小学校や中学校で学ぶことに関してはAIがありとあらゆる分野で大活躍してしまいます。
つまりAIへの丸投げが幼少期から可能になってしまっているのです。
私たちが必死に取り組んでいた計算ドリルもプリントも今やAIに読み込ませれば一瞬です。
AIにすべてを任せて課題をしてきた学生と、自力で課題をこなしてきた学生の間には思考力や想像力といった観点で大きな差が生じるように感じますし、その期間が長ければ長いだけ差は大きくなるように感じます。
いざ勉強をしようと思っても、勉強の下地のない学生が増えているのではないでしょうか。
実際そうなのかは私にもわかりません。
今私は20年ほどしか生きていませんから、この変化を絶大に感じますし大きな問題のように感じます。ではこのAIの発展は歴史上で見ればどれほどの変化と匹敵することなのでしょうか。人類が火を利用できるようになったことでしょうか、それともiPhoneの開発でしょうか。
例えば昔は人間はいたるところへ自分の足を使って移動していましたが、移動では車や電車など交通機関がありふれています。それで足腰の筋肉は人間という種として変化をしたのでしょうか。
また、昔は何か知りたいと思ったら文献をあさったり、人に聞いたりとたくさんのプロセスを踏まなくてはいけなかったですが、今ではスマホ一つでありとあらゆることが知れてしまいます。では我々の調べる力は衰えてしまったのでしょうか。
今までの人類史で人の生活を根本から変化させた事柄は少なくありません。現時点で社会問題として取り上げられているこのAIへの依存問題も長い歴史で見れば大したことではないのかもしれませんし、やっぱり大したことなのかもしりません。
ただAIに頼らずに文章を書いたり計算ドリルをした時間が将来何かの役に立つことを祈るばかりです。
良ければご覧ください。
